nagomusiの染め織り日記

大分県由布市で、染め織りの体験教室をやっています。

剣太君裁判  −弁護士さんの涙ー

3年前、竹田高校剣道部で重篤な熱射病で亡くなった工藤剣太君の裁判は
原告、顧問、副顧問、病院側の尋問を終えました。
傍聴席は大体満席。公開裁判でたくさんの人が原告、被告のやりとりを目撃しました。


はりつめた空気の中で、相手弁護士の尋問に答えていく原告、被告。
原告の証人喚問は先に書いたが、剣太君のお父さん、弟さんがつらい思い出し作業の上に
法廷に立ち、被告弁護士の執拗な的はずれな質問にも苦しみながらも誠実に答えていた。
そして、原告の顧問、副顧問、病院側はというと。。。
それぞれが、保身、責任のがれ、心からの反省は、全く私には感じられなかった。
顧問については問題外。何せ、事故後の部員たちが苦しんで証言した「調査書」すら読んでないのだから。
見るのがつらいから、こわいからとまるで幼児の言いわけ。
反省、どころではない。遺族に頭すら下げない。


副顧問ははきはきした声で、「剣太君のことを思い出さない日はありません。
東の空を見て毎日水をあげながら、どうしたら彼が命を落とさずにすんだのか考える日々です」
と始めに言った。「大変申し訳ありませんでした」とも言った。
お!この人は良心が残っているのかも、と期待したのもつかの間、その後は
知らぬ、存ぜぬ、自分に権限はない!を決め込んでいた。
「副顧問で部活に来る日も少なかった」
「剣太くんがそこまでひどいとは思わなかった。」致命的になった顧問の執拗な剣太君へのびんた
やふらふらの剣太君の行動に対しての「演技をするな!」も「過去にもこんなことはあったのかなあ」と。
だったら自分に止める権限はないと。
前蹴りに対しても「見てない」。剣太くんが倒れたのも「水で足をすべらせたのかなあ」
これには一同どよめいた。友人達が剣太君の命の危険を感じて
必死で水を飲ませようとしたり、かけたりした水で?足すべらせるって?

剣太君のお通夜で「(顧問を)止め切れませんでした」との言葉は
あの時は混乱していたと撤回された。
原告弁護士が「あの現場で、状況を止めさせられた大人はあなたしかいなかったのでは?」
には答えに困ってました。


そして病院側。
素人が聞いても、あきらかな判断、医療ミス。
「剣太君が病院に着いた時37,1度しかなかった」「顧問はそんな激しい練習はしてない、と言った」
「頭部外傷があった」等々の理由で、結局2時間も剣太君は冷やしてもらうことはなかった。
まず、救急車の中でわきを冷やして搬送されるのだから、一時的に熱が下がっているのは当然といえば当然。
激しい練習をしてない、を真に受けたのは仕方ないかもしれないが、
といっても剣道の胴着を着ての練習、真夏の一番ピークに暑い時間帯だ。
熱中症。。。病院なのに。。。想像力はないのだろうか?
頭部外傷を疑ったちしても、とりあえず冷やしてもなんの支障もないわけで、しかも
頭部レントゲンをとるのにしても病院着いてから、1時間20分もたってからだ。
CTも使えなかったらしい。
剣太君の体は煮えたぎり、その頃には42度に達していた。
慌てて3点冷却、4点冷却するも、逆に血流を阻害して熱をためてしまうことになった。
的はずれな治療は続き、17歳の未来ある若者はいとも簡単に帰らぬ人となった。
死後4時間たっても県警の直腸温検査で40,5度であった。


剣太君は体力のある剣道3段の腕前のまじめな17歳であった。
熱中症は症状がでて20分で冷やすことができれば大丈夫だそうだ。
学生の「死に至る熱中症」はまぎれもなく、その時かかわった大人の責任だ。


だが、肝心の大人たちは自分の保身でいっぱいだ。後は責任のなすりあい。
一人遠くに旅立った剣太君は、空からこのあり様をどのようにみているだろうか。。。
被告の大人たちは、ほんとに一人になった時、良心の呵責の耐えきれない、
ほどの体験はないのだろうか?
人間は追い詰められた時、自分に都合よく過去の事実は塗り替えられていく生き物らしい。


先日行われた剣太の会の最後に剣太君のお母さんがおっしゃった。
熱中症の今の知識があって、あに時に帰れば剣太を助けられたかもしれない。
病院はさっさと転院させただろう。」と。
「祖父はしきりに、病院の異常さを指摘して移そう!と言ってましたが
私たちは、最後まで病院を信じてしまいました。
悔やんでもくやみきれません。」と。


「それから苦しむ剣太のムービー撮ろうぜ!後でおまえこんなに苦しんでたんだぞー!
といった弟を「なんいっちょん!」と制した。
その時はもちろん家族だれも剣太が死ぬなんて思いもしなかったから出た会話だ。
葬儀の時、剣太の真っ黒い遺体を撮った人がいた。
不謹慎!と怒ってデータも消させた体験も話してくれ、
「今にして思えばですが。。証拠を映像に撮っておけばよかったと思う。何もないんです。」とおっしゃった。
「もちろん、あの時あの現場において、親としてそんなことできるはずもなかったのですが」
「もし、これからみなさんやみなさんのお知り合いがこんなことに遭遇した時、当事者たちはできないかも
しれませんが、記録をとる、写真を撮ることの重要性を伝えてあげてください。」と。


見ると、弁護士さんが眼鏡をとって何度も涙をぬぐっていた。
剣太くんのご両親と二人三脚で裁判を闘ってくれている心強い味方だ。
証拠を求めてどれだけ苦心努力されてきたのだろう。
母親が愛してやまない子供の痛めつけられた映像を、「撮ってれば」という。
どれほど、つらい思いで裁判をやってきたか、がわかる。
ご両親は味方だと思っていた方に「陳述書を書いてほしい」と頭を下げるも
いざとなると「できない」と言われたことも多々あったそうだ。


弁護士さんの涙を見て、せめてこのような温かい血の流れる方に弁護をやっていただけて
せめてもの救いだと、思った。


次回は12月20日(木)口頭弁論(最終準備書面)
お母様の奈美さんが、今までの気持ちを法廷でぶつけます!
ぜひ!学校で子供が亡くなった、生の遺族の声を聞いてください。