nagomusiの染め織り日記

大分県由布市で、染め織りの体験教室をやっています。

佐藤さとみさんのお話

5月の清々しい公園の、木陰で聞いたお話。
佐藤さとみさんは福島県郡山出身のシンガーソングライター。
先々月に10歳の娘さんを白血病で亡くした。
以前ブログにもかいた私の友人和美さん(現在は福島に住民票も移し現地でがんばってる)と共に
九州入りし、福岡で行われた「福島の現状を語る会」に出演され、
そして大分でも素敵な歌と貴重な体験のお話をしてくださった。


虫や花や土が大好きだった陽々生(ひびき)ちゃん。
発病してから、治療法を含めどれだけの苦難を親子で乗り越えてきたのだろう。
副作用の強い抗がん剤治療。放射能治療、輸血。
佐藤さんは「その大昔、血液が病魔の原因だと、大量の血を抜いた人間が大勢死んだ。
「そんなばかな、と治るわけないでしょっ!」と現代の人間は笑うが
抗がん剤治療は、きっと未来の人間が「治るわけないでしょっ」と過去のこの医療時代を
一笑するようなものだと思う」とおっしゃってた。
西洋医学を常識とする病院において、他の医学、諸説はタブーらしい。
もっと他の方法はないのか、と苦しむ娘を目のあたりにして同じように苦しむ母にも
病院側からは何の提示もなされない。
それどころか、これ以上は。。。と抗がん剤治療を拒否する佐藤さんから「子供を虐待している」と
児童相談所に通知し、病気の子供を彼女からひきはなしたそうだ。
この場合、所長が保護者の代わりにハンコを押せば抗がん剤治療ができることになる。
母がいくら連絡をとっても受話器もとらない、土日定休日のそんな職員たちに
子供を産んで、ず〜っと定休日なしで守ってきた「母」の一体何がわかるのだろう。
母とひきさかれたひびきちゃんは、けな気にも「昼間はがまんした」そうだ。
どれだけ、一人不安な夜を過ごしたことだろう。
佐藤さんは苦しんだあげく、圧力をかける病院のやり方にしたがうしかなかった。
。。。ここは自由に思考し、行動できる日本?なんだろうか?


さらに震災による原発放射能汚染が追い打ちをかける。
これ以上放射能を子供に浴びさせるのだけは避けたい、とひびきちゃんを連れて福島を脱出した佐藤さん。
ごったがえする空港では娘の居場所を何とか確保しつつ、自分は十何時間もキャンセル待ちに並んだそうだ。


健康な方々でも命からがら逃げていった。
そんな中で、佐藤さんのように病気の子供をつれてやっとの思いで故郷を後にした人もたくさんいたはずだ。
ご実家の両親は福島に残ったそうだ。
ひきさかれるような思いで何とか娘さんと生きのびてきたのだろう。
自分にふりかかる試練に、きっと佐藤さんは苦しみながらも
ひとつひとつその時点でのベストを尽くし歩んでこられたと思う。
それでもたくさんの後悔が残る、とおっしゃってた。


ひびきちゃんは亡くなる前は体重も15キロ位になっていたそうだ。
もう、回復の見込みがないとわかると手のひらかえしたように病院側からは「どうぞ、お好きに」と。
何も口にできなくなっても、スイカだけは好きだったなあ、と口を緩ませる佐藤さん。
最先端医療を誇る小児大病院。
どれだけかわいらしい内装やいろんなきめ細やかなサービスでもっても、
優秀な医者であっても、心までは治療できない。
本当にその子の人生を想い、自分と引きかえにでもできる人間なのだ。最終的に必要なのは。


公園の地べたに座り、佐藤さんのお話を聞いていた。
佐藤さんはひびきちゃん亡き後、鳥を見ても、草花を見ても、ありんこを見ても、
「あ、かわいい、ひびきみたい」と想ってついつい微笑んでしまうらしい。
亡き人を想うって、そういうことなのかもと感じた。
小さな、そして大きな自然に身をまかせて、
悲しみを少しずつ和らげていく、自分の中に取り込んでいく。


しかし、現実は深刻だ。
佐藤さんは九州に来てから、先日竹林の中で美しく漏れる光と風と土と
何ともいえない気持ちよさに身をおいていたら、
急に涙があふれてきて、自分でも信じられないくらい。。。
せきがくずれだしたようにぼろぼろ泣けてきたそうだ。
泣きながら「人間はなんということをしてしまったのか」と。


放射能におびえる地域では、土や草に触ることも出来ず、光をあびることもままならない。
風を感じ、雨を楽しむことも。
そんな中で人は元気になるのだろうか?回復できるのだろうか?
とりかえしのつかなくなった故郷福島で、子供を亡くしても
心をいやしてくれるはずの自然もない。触れることができない。
まだ、私にはこれがどういうことなのかきっとわかってない。


佐藤さんの優しい歌声とギターで奏でる「私は地球」。
は1997年に作られたそうだ。
ただ、ただ、涙をふきながら佐藤さんの歌声をきくだけしかなかった。