nagomusiの染め織り日記

大分県由布市で、染め織りの体験教室をやっています。

剣太君のこと、裁判傍聴

以前このブログにも書いた剣道部の部活中に亡くなった工藤剣太君。
あまりに理不尽な命の落とし方ゆえ、私もこの目で裁判を見たいと
5月24日大分地裁に向かいました。
たいへん注目されている事件で、当日は傍聴席をもとめて多くの人が並んでました。
満席の傍聴席。この日は剣太君のお父様と
事件当時現場にいた同じ元剣道部の弟君の証人尋問でした。
まだ、この春高校を卒業したばかりの弟君は
この日のために、思い出したくもないだろうつらい記憶を何度も呼び起こし
原告、被告両弁護士、裁判官からの質問に誠実に一生懸命証言しておりました。


私が聞いた新たな事実。「足腰立たぬほど練習をさせる!」という
フツーじゃない目標を掲げる顧問に部活日誌を持っていった剣太君ら部員。
「どうやってこれを持ってきたんか!歩いてか!明日の練習覚えとけよ!」
。。。。。。どこの世界に部活後「歩ける」ことを
たるんでる、練習不足だと叱責する教育者がいるのか。狂ってるとしか思えない。


続々法廷で明らかにされる顧問の凶行。副顧問の無責任。
一体何を、被告の何を弁護できるのだろう。


私は正直腹がたってしょうがありませんでした。
弁護できんやろう、と思っていた被告の弁護士たちが
執拗に弟君に事件当時の練習内容や剣太君の異変の細かな時間を聞いてきて
(どう考えても時計をみるような余裕など微塵もない事件当日の最悪な状況で)
「わかりません」「はっきりとは覚えておりません」と答える若者に
悪意たっぷり(私にはそう見えた)に「それも覚えてないのか」といわんばかりの時間攻撃。
弟君を精神的に乱れさせようとしたのか、
裁判官にしょせん子供のあいまいな証言とでも思わせたいのか。
被告の弁護士という「お仕事」上、彼らはそれを実行しているにすぎないのでしょうが、
大好きな兄を目の前で奪われ、一生の傷を負ってしまった18歳の若者に
少しの同情や敬意があったら、あんな目線や言い方はしないだろうなと。
それもお仕事、で本心とは違うというのなら、そんな大人にだけはなりたくないと思った。
(あ、私もう年ではりっぱな大人でした、汗)


よく、裁判すると被害者はまた殺される!と聞いたことあるけど、
実感としてそれがわかりました。
あまりの執拗さ、時間オーバーに原告の穏やかそうな?弁護士から
「尋問のポイントが違うのではないか、もっとまともな(みたいなニュアンスのこと)
質問内容、時間を工夫してほしい」「どれだけ彼がフラッシュバックにつらい思いをしてると
思ってるんだ」などと怒りの意見がだされました。
そうだ!そうだ!許されるのなら傍聴席から大声あげて拍手したかった!


しかし、彼は偉かった!相手の挑発にもキレることなく、淡々と答え続けました。
裁判終了後の報告会で「頭にきた。それ(時間攻撃)関係ないやろって思った。でも兄のこと
思ってがんばらんとと思った」と話されてました。君は立派でした!


お父様からは運ばれた病院の不誠実さを聞いて愕然としました。
重篤な熱射病患者に電気毛布を用意してきた話は以前聞いて驚いたことでしたが、
「安定したので。。。」という医師に、「医療機器の数値が上下してるのに?」と父親が不安を言うと
「それは機械の接触が悪いから」と言われたり、あげく「患者はここ(剣太君)だけじゃないんだ!」と。
耳を疑う医師の台詞。「早く別の病院に移したかった」お父様は、一体どれだけ悔んだことでしょう。


交通事故や天災である日突然子供を亡くす。
想像しただけで、胸がつぶれる思いです。私には耐えられない試練でしょう。
剣太君の場合、これは人災。社会的には地位のある、一見フツーの大人たちが犯した大罪。
1%も非のないまじめな若者がなぜ死ななくてはならなかったのか。
私は裁判の行方をしっかりと見ていこうと思います。


昨日5月27日は剣太君の20歳の誕生日だったそうです。
救急救命士をめざしていた剣太くん。
違う世界にいってしまったけど、そこで剣太は救命士になってるんだと、ある方にそう言われたと
お母様が話して下さいました。
確かに。今ご両親らは剣太君の死をむだにしないよう、学校やいろんな場面で
様々な活動をされています。裁判もそう。次の犠牲者を出さないために戦ってくださってます。
この活動により救われた命も必ずあるはず。きっと今後も。どれだけ救われるのかわからないほど。
「20歳の誕生日はまた特別に。。。」声をつまらせるお母様。
どんな思いで今日を過ごしたのでしよう。成人。


この日に電話をくださった時、私は3人の息子をつれて公園でおにぎりを食べてました。
かみしめよう、今の幸せを。
そして、思っていよう。大人になれなかった子供が世の中にはたくさんいること。
この日曜日の幸せな公園の中にも、子供を見送った悲しい大人がいるかもしれないこと。
いつか、子供にも伝えよう。いや、すぐにでも。まだ分からなくても。
いつ、どこで止まるかもしれない命、自分も人も大事に守らなくてはならないこと。
大人になれなかった子供たちの分も。